2012年12月6日木曜日
長編ファンタジー
僕は基本的にエッセイのようなノンフィクション系の読み物が好きです。逆に全く架空の世界が舞台の小説だとなぜだか読み進められません。現代社会が舞台の小説でも長編となると読み切るのにかなりの努力を要します。これは小学生の頃からで、実話だと思って読んだ本が創作だと知ってがっかりした事が何度もあります。極端に言うと、架空の話に事実が5割含まれているものよりも、ノンフィクションの話に5割の作り話が含まれているものの方が好きなのです。
自分でもなぜなのかわからなかったのですが最近気が付いたのは、どうやら「他人の頭の中で作られた話に長い時間付き合う気持ちになれない」という思いがどこかにあるからのようなのです。
読書推進運動をされている方の中には、絵本から読み物へ、読み物から長編ファンタジーへ誘うことこそ使命、というように考えておられる方が少なからずおられるように見受けられます。しかし絵本や創作読物や長編ファンタジーというジャンルに優劣などあるはずがありません。
もし本の面白さを伝えるはずのメッセンジャーが、個人の楽しみの領域にずかずかと入り込んでは口を挟むようなケースがあるとしたら、それは逆効果でしかないと言わざるを得ません。
2012年11月4日日曜日
新人作家
最近、絵本作家を目指している人たちにお会いしたり作品を拝見したりする機会が増えています。しかし「この人本気で絵本作家を目指している!」と思わせてくれる人や作品にはなかなか出会えません。「ものになる作家に出会えるのは“せんみつ”(1000人に会って3人)だ」と言われていますので当然なのかも知れませんが、それにしても手応えが無さすぎます。
幼いころに読んだ絵本を思い浮かべて「あれくらいだったら私にも描けるかも」と思って絵本作家を目指している人がいるようならそれは大きな間違いです。絵本は30年前に出版されたものでも今でも普通に売り上げベスト10に顔を出してくる特殊なジャンルです。シュリンクしていると言われるこの絵本業界でデビューするためには、今まで出版された絵本たち全てを乗り越えるぐらいの気迫を持った作品でなければ難しいと思った方が良いでしょう。絵本作家も作家のはしくれなのですから、身を削る思いをして作品を仕上げていただきたいと思います。
そしてもしオリジナリティあふれる絵本を描く新人に出会えた時には、絵本業界全体で惜しみないバックアップをすることが大事だと僕は思っています。
2012年10月22日月曜日
学校
学校にはなぜ行かなければならないのでしょうか?義務教育とは「国(自治体)や人(保護者)が子どもに受けさせなければならない教育」のことであって、子どもには教育を受ける権利はありこそすれ義務はありません。だのに今の大人は子どもが学校に行かない事を許しません。この先の見えない不況時代に「我慢して学校に通えば明るい未来が待っている」などとは誰も言えないのにです。1947年以来65年間全く変わらず、記憶力競争や大人しく座っている拷問を子どもに強要し続けているだけです。そのストレスがいじめにつながっている事に気が付いている大人が少なすぎます。子どもは好奇心のかたまりです。上手にアプローチすれば皆学びたがるものです。
僕は学校の「いじめ」をなくす方法はそこにあると思います。
2012年8月27日月曜日
絵本作家の卵たち
絵本作家になりたい人たちが集まっているサイトがあったので覗いてみたのですが、良くある質問というのが「絵本作家になるにはどうすればいいのですか?どこに進学すればいいですか? 」といったものだそうでビックリ。絵本にある作家のプロフィールを見れば、皆様々なプロセスを経て絵本作家になっていることなどすぐわかるでしょうに。
また、それ以上に驚いてしまったのが「絵本作家の収入は?食べていけるのでしょうか?」という質問が多いという事。小説家であろうと作曲家であろうと、皆表現したい何かがあるからこそそれを発表しているはず。「食べていけるかどうかはあなたの作品次第」に決まっています。絵本作家とイラストレーターは根本的に違います。スポーツ選手でも役者でも、皆最初はアマチュアだったはず。そして今プロとして生計が成り立っている人はほんの一握りしかいないはずです。
「絵を描くのが好きだから絵本作家にならなれるかも」とか「長編小説だと荷が重いけど絵本だったら私でも翻訳出来るかも」とか思っておられる方がいらしたらがっかりです。
そして何より、表現したいパッションよりも食べていけるかどうかが優先している方には、即刻辞められることをおすすめしたいと思います。
2012年8月17日金曜日
2012年6月27日水曜日
後継者問題
企業でも団体でも後継者問題はとても重要だと思いますが、後継者を育てることはなかなか難しく、結果後回しになっているケースが多いように思います。
最近立て続けに、長い歴史を持つふたつの子どもの本関係の団体の総会に参加したのですが、その参加者の年齢層にビックリしてしまいました。まるで団体創設以来全くメンバーが変わっていないのではないか、と思わせるような方々ばかりだったのです。せっかく素晴らしい理念を掲げていてもこれでは活発な活動はのぞめない、と感じてしまいました。
30年ほど前に五味太郎さんが次々と新しい絵本を出版されて以降、五味さんに続いて絵本界を引っ張っていくような新人絵本作家がなかなか現れない期間が10年以上ありました。その理由の一つに、五味さんのデビュー以前にすでに活躍されておられた作家さんに仕事の依頼が集中しがちで、絵本作家の卵たちになかなかチャンスが与えられなかったという側面もあったように思います。
まして今は、本が売れないという嘆きの声ばかり聞こえてきますので、ますます出版社は新人の作品を出版するという冒険をしにくくなって来ています。しかし、5年後10年後を見渡した時、いつまでも現状の延長のままで成り立っていけるでしょうか?
絵本業界のためにも、そしてこれからの若者たちのためにも、新人の発掘、そしてバックアップが重要な時なのではないでしょうか?
2012年5月6日日曜日
えほんみち
3月に行ったボローニャのブックフェアでは、昨今騒がれている電子ブックを目にする事は全くなく、僕は「紙の絵本はまだまだいける」との確信を持って帰ってきました。
日本は世界的に見ても絵本の出版社が多いですし、絵本作家を目指している人も多いです。
そしてまたそういう人たちに向けての養成講座もたくさんあります。しかしその割には、絵本作家の登竜門があまりに少なすぎます。「良い新人がいたらうちでも是非検討したい」と言いながらも、持ち込みの原稿に目を通す暇もなかなか取れない編集者は多いようです。僕は今必要なのは、絵本作家の卵と絵本出版社の編集とを橋渡しする仕組みではないかと感じています。そこで僕は今、実力ある作家の卵たちをバックアップする塾を準備しています。その名も『えほんみち』。
この塾では技術的な話は一切しないつもりです。あくまで、新しい作品が絵本として出版されるには何が必要でどこが重要かだけをテーマにします。そして出版に耐えうる作品がある程度プールされるようになったら、絵本の編集者の皆様に集まっていただき「売り込む会」を開催します。
もし、絵本作家になりたいという方がいらっしゃいましたら是非ご連絡お待ちしています。
(問い合わせ先:ehonmichi@gmail.com)
2012年3月28日水曜日
ボローニヤに行ってきました。①
クレヨンハウスの副社長、岩間さんのお誘いを受け、一度は行きたいと思っていたボローニヤ・チルドレンズブックフェアに行ってきました。
1964年にヨーロッパの児童書出版社が集まって始めたこのブックフェア、今では世界約60カ国から約1200社の児童書出版社が集まる大規模なものになっています。まず驚かされるのがその会場の広さ。6棟の大きな建物にイベント、原画展、1200のブースがひしめきあいます。各ブースでは、絵本を探しに来た異国の出版社の人に、自社が出版した絵本や未発表のラフを紹介している姿が繰り広げられていました。
クレヨンハウスはあらかじめ日本のエージェントを通してアポを取ってあったので、効率良く絵本を見せてもらう事が出来ましたし、また多くの場合エージェントの人も同席してくれていたので会話もスムースでした。もし、僕のような語学力のない男がアポも無しにただ闇雲にブックフェアに行っても醍醐味を味わうことなく帰ってくるところでした。しかしそのアポのスケジュールは30分刻みなので、しばしば広い会場を端から端に移動している感じでしたが、岩間さんはとてもお元気に飛び回っておられました。
2012年3月17日土曜日
『ローマ人の名言88』
今から2000年ほど前、ローマ時代の人々は繁栄と平和を謳歌し金もうけに走る人や恋愛を楽しむ人があふれていたそうです。そんな現代の私たちと変わらない暮らしをしていたローマ人は、たくさんの言葉を残していきました。日本でもことわざのように使われるそれらの言葉は、ラテン語のため正確な出典を知らない日本人が多いようです。ラテン語学者の山下太郎氏が出典を明らかにしながら分かりやすく紹介してくれているのが『ローマ人の名言88』(牧野出版)です。
読みやすいこの本を読んでいると、2000年前の人たちも現代人と同じ悩みを持っていた事に気づきます。生死感、時間の使い方、目的意識、友情、恋愛問題、金銭問題、あらゆる事柄で現代人と共通しています。逆に言えば、人類が2000年かけても解決できない問題が山ほどあると言う事です。これは人が人間である限り抱え続けていかなければならないテーマなのかもしれません。
そう考えると、自分が直面しているこの悩みの簡単な解決方法などあるわけないし、過去においても現代社会でも同じ悩みに苦しんでいる人はたくさんいるはず、と思うのが正解のような気がしてきます。会社勤めで苦労している人、人間関係で悩んでいる人、将来に不安を抱いている若者、にお勧めの1冊です。『ローマ人の名言88』山下太郎/著 牧野出版/刊
2012年2月10日金曜日
分をわきまえる
昔の日本には「分をわきまえる」とか「身の丈を知る」とかいう言葉がありました。少なくとも戦前までの日本には分不相応な言動や暮らしをたしなめる風潮があったのではないかと思います。それが戦後になって、差別のない社会を目指せるようになったことや高度経済成長のおかげで、誰でも出世したり金持ちになる夢を持てるようになり、このような言葉はあまり使われなくなってきたのかも知れません。そして1980年代のバブルあたりから日本人の考え方が大きく変わってしまったように思います。どうしたら周囲の者を出しぬけるか、とか、大きな結果を追求するためにはプロセスは多少常軌を逸したって構わない、とかいった風潮が拡がっているような気がします。
もしかすると学校教育が、様々な場面で競争を利用したり奨励したりしてきた事や、個人個人の興味や趣味や嗜好を封じ込め、与えた課題のゴールだけを目指すように仕向けてきたことの結果、ということはないでしょうか?
日本語には「品がない」とか「みっともない」と言った言葉もあります。一攫千金を夢見たりせず、色々な情報に惑わされることもなく、地に足のついた仕事をコツコツとしていくように心がけたいと思います。
2012年1月7日土曜日
緊張感が足りん!?
大晦日に特別指定手配犯が自首しようとしたのに、門前払いをした警察署があったと報道され「緊張感が足りん」というコメントを目にしました。でも、これはその場に居合わせた警官に緊張感が足りないから起きた事なのでしょうか?こういう問題の時に重要なのは、当事者個々の資質に負うことではなく、犯人が自首してきた時の受け入れ態勢の構築、特別指定手配犯を常に認識できる体制、悪質ないたずらを見分けるためのシステム作りをしてきたかどうか、ではないでしょうか。だって人はずっと緊張し続けることなど不可能ですし、逆に、人がベストのパフォーマンスを発揮出来るのは充分にリラックス出来た時だからです。
警察でも企業でも教育現場でも、問題が起きた時に当事者個人だけに責任があるかのように処理してしまい、組織全体の問題としてとらえられていないケースが多すぎるように思います。どんな組織でも、問題が起きる前にあらかじめ色々な事態を想定して対策をたてるべきだし、問題が起きた時にはそれを糧に再発防止のための仕組み作りをよりきめ細やかにしなければ、警察の失態でも、企業の人材不足も、教育現場でのいじめ問題にしても解決しないように思います。
登録:
投稿 (Atom)