2011年10月8日土曜日

読書の効能

今でこそ児童書出版社は皆「読書は楽しみです」と言っていますが、僕が小さい頃の児童書には、いかにこの本が教育上好ましいものかを説いた「保護者の方へ」と題した文章が載っているものが少なからずありました。そのせいもあってか、いまだに子どもが「この本買って」と言ってきた時、判断基準が文章が多いか少ないかだったりする保護者は多いようです。また現在ではOECDの調査で日本の子どもたちの読解力が落ちていると報告されてから急に、読書の重要性が話題にされたりしています。読書の効能をセールストークにしたくはないですが、あえて挙げるとすれば僕は「想像力」ではないかと思っています。自然と戯れる機会が少なく、昔話を語ってくれる人が身近にいない現代の子どもにとって、絵本は想像力を養う身近な存在であるように思います。悲惨な事件を起こしてしまった若者も、もし小さいころから読書に親しんでいれば悲劇的な結末が予想できて、実行を思いとどまれたかもしれません。
数学者や科学者が研究する時に立てる仮説、実はこれこそ研究者の持つ想像力が重要です。
想像力が創造力になり行動力となる。絵本はその入り口だ、と言っては言いすぎでしょうか?

2011年10月5日水曜日

電子書籍は書籍じゃない

ipadの発売を聞いて飛びつくように買ってからすでに1年以上経ちました。電子書籍と呼ばれる書籍関連のアプリケーションをを色々ダウンロードしてみましたが、僕はなんだか違和感をうっすらと感じ続けていました。そして僕は最近やっとその違和感の根っこに気が付きました。
電子書籍というネーミングがいけないのです。
モニター上の擬似書籍でページをめくる感触が再現されていたり、紙をめくる音が再現されていたりしても、それは所詮デジタルの中でのことにすぎません。レコードはレコード、カセットテープはカセットテープ、CDだろうがMDだろうが我々はそのコンテンツを載せている媒体の名で素直に表現し分けてきました。なのに、なぜテキストが中心のデジタルコンテンツだけは、わざわざ書籍という表現に固執しているのでしょうか?書籍愛好家を少しでも取り込みたいという製作者側の気持ちだけが先走っているように思えます。僕はipadのような端末の中にあるアプリケーションを書籍と呼ぶことに抵抗を感じていたようなのです。
コンテンツが魅力的なら、書籍という表現にこだわらずともお客様はついてくるはずです。