2012年1月7日土曜日

緊張感が足りん!?

大晦日に特別指定手配犯が自首しようとしたのに、門前払いをした警察署があったと報道され「緊張感が足りん」というコメントを目にしました。でも、これはその場に居合わせた警官に緊張感が足りないから起きた事なのでしょうか?こういう問題の時に重要なのは、当事者個々の資質に負うことではなく、犯人が自首してきた時の受け入れ態勢の構築、特別指定手配犯を常に認識できる体制、悪質ないたずらを見分けるためのシステム作りをしてきたかどうか、ではないでしょうか。だって人はずっと緊張し続けることなど不可能ですし、逆に、人がベストのパフォーマンスを発揮出来るのは充分にリラックス出来た時だからです。 警察でも企業でも教育現場でも、問題が起きた時に当事者個人だけに責任があるかのように処理してしまい、組織全体の問題としてとらえられていないケースが多すぎるように思います。どんな組織でも、問題が起きる前にあらかじめ色々な事態を想定して対策をたてるべきだし、問題が起きた時にはそれを糧に再発防止のための仕組み作りをよりきめ細やかにしなければ、警察の失態でも、企業の人材不足も、教育現場でのいじめ問題にしても解決しないように思います。

2011年12月4日日曜日

偉ぶるは馬鹿の始まり

「偉ぶるは馬鹿の始まり。偉ぶっても偉くはなれず、馬鹿にされても馬鹿にはならない」 昔ある人から教わって、ずっと印象に残っている言葉です。 ほかの人から一目置かれたいがゆえに偉そうな態度をとる人や、また他人を否定することで自分を浮き上がらせて見せようとする人を、良く見かけます。また、偉そうな態度をとることで他人を自分の思い通りに動かそうとする人も少なくありません。本当はその人の状況判断や段取りの甘さが原因で物事が円滑に進んでいないのに、それに気づこうとはせず、とどこおっている原因を他者に求め、部下などに過剰な負荷をかけてくる人は実は意外と多いです。 自営業を8年半続けてきた中で、時には自分で自分をほめたくなる瞬間がありました。しかし、らせん階段を一周するように経験を積んでは目線が少し高くなるとその分視野も広がって、自分が他人からほめてもらうことなど100年早い、ことに気付かされます。ですから、自分のスタイルを頑なに崩さず自分の過去の成功体験だけにしがみついている人は、とても滑稽に見えます。 もし偉そうな態度をとっている僕を見た時には、是非タイトルの言葉を言ってやってください。

2011年11月6日日曜日

読書推進

「読書推進運動」と聞くと「読書週間」が思い出されますが、これはすでに読書の楽しみを知っている人への働きかけが強く、読書の習慣のない人へのアピールにはなっていないように感じます。昔は、本は作りさえすれば消費者が見つけてくれ購入してくれた時代もあったのかもしれませんが、今は違います。テレビ番組から高性能テレビゲームや人気のテーマパークまで娯楽には困らず、生まれたときから家にはパソコンがあり、小学生の時から携帯電話を持たされ、また家庭の中に本棚のない家もある、そのような環境で育つ子どもたちに対して、もっと具体的な推進運動をしていかない限り、未来の消費者など育つわけもありません。ブックトークや読み聞かせの出来る人を気軽に学校や児童館などが呼べる仕組み作り、興味のわいた事柄を気軽に相談出来て的確なアドバイスをくれる図書館司書の育成などを、業界全体が協力し合って推進することの方が重要に思います。
書店でくじを配ったり、すでに本が好きな子どもたちだけが集まるようなイベントをしていては本当の推進運動にはならないように思えてなりません。

2011年10月8日土曜日

読書の効能

今でこそ児童書出版社は皆「読書は楽しみです」と言っていますが、僕が小さい頃の児童書には、いかにこの本が教育上好ましいものかを説いた「保護者の方へ」と題した文章が載っているものが少なからずありました。そのせいもあってか、いまだに子どもが「この本買って」と言ってきた時、判断基準が文章が多いか少ないかだったりする保護者は多いようです。また現在ではOECDの調査で日本の子どもたちの読解力が落ちていると報告されてから急に、読書の重要性が話題にされたりしています。読書の効能をセールストークにしたくはないですが、あえて挙げるとすれば僕は「想像力」ではないかと思っています。自然と戯れる機会が少なく、昔話を語ってくれる人が身近にいない現代の子どもにとって、絵本は想像力を養う身近な存在であるように思います。悲惨な事件を起こしてしまった若者も、もし小さいころから読書に親しんでいれば悲劇的な結末が予想できて、実行を思いとどまれたかもしれません。
数学者や科学者が研究する時に立てる仮説、実はこれこそ研究者の持つ想像力が重要です。
想像力が創造力になり行動力となる。絵本はその入り口だ、と言っては言いすぎでしょうか?

2011年10月5日水曜日

電子書籍は書籍じゃない

ipadの発売を聞いて飛びつくように買ってからすでに1年以上経ちました。電子書籍と呼ばれる書籍関連のアプリケーションをを色々ダウンロードしてみましたが、僕はなんだか違和感をうっすらと感じ続けていました。そして僕は最近やっとその違和感の根っこに気が付きました。
電子書籍というネーミングがいけないのです。
モニター上の擬似書籍でページをめくる感触が再現されていたり、紙をめくる音が再現されていたりしても、それは所詮デジタルの中でのことにすぎません。レコードはレコード、カセットテープはカセットテープ、CDだろうがMDだろうが我々はそのコンテンツを載せている媒体の名で素直に表現し分けてきました。なのに、なぜテキストが中心のデジタルコンテンツだけは、わざわざ書籍という表現に固執しているのでしょうか?書籍愛好家を少しでも取り込みたいという製作者側の気持ちだけが先走っているように思えます。僕はipadのような端末の中にあるアプリケーションを書籍と呼ぶことに抵抗を感じていたようなのです。
コンテンツが魅力的なら、書籍という表現にこだわらずともお客様はついてくるはずです。