2013年11月12日火曜日

9割の便利・1割の不便

首都圏の交通機関の改札口がほとんど自動になりました。 大量に出入りする乗降者の流れ滞らせることなくチェックし、またJR・私鉄・バスの区別なく同じカードで処理出来るシステムは感嘆すべき日本の技術だと思います。 しかし、身体的あるいは知的ハンディキャップを持った人にとってはどうなのでしょうか? 先日外国からの旅行者と思しき親子連れが、切符を差し入れる口のない改札機を通ろうとして困惑しているのを目撃しました。 とりあえず個人的には一方通行か対面通行かの区別がわかる矢印表示にして欲しいと思います。

2013年10月15日火曜日

きっかけはそれだったのか?

僕が小学校3年生の時の担任は新任の女の先生でしたが、A君を中心に色々なゴタゴタが絶えませんでした。 決定的だったのはある日、体育の授業を見学していたA君が、体育道具を放り投げて授業を妨害したことがありました。授業が終わり教室に戻ると、先生は涙目になって「A君!いったいどういうつもり!!」と言いながら往復ビンタを16回ぐらい浴びせたのでした。 最近になって急に「そう言えば3年生の1学期に体育館で道徳教育的な映画を見たことがあったな」と思い出しました。観終えて教室に戻ると、その若い先生が「今の映画はとても感動的でしたね。感動しなかった人はいますか?」と聞いてきました。 するといきがることを覚えはじめたA君を含む悪ガキ数人が手を挙げたのです。それを見た先生は「今手を挙げた人は少し変です」と言い放ったのでした。 A君が先生に反抗的な態度を取るようになったのは、この日からだったような気がしています。

2013年9月7日土曜日

クラスメイトと友達は違う

大人が子どもに良く言う言葉の一つに「お友達とは仲良くしなさい」というのがあります。字面としては正しいのでしょうが、クラスメイト全員を友達だと思っている子どもがはたしてどれくらいいるでしょうか?僕は小学校で仲が良かった友人と今は全く連絡を取り合っていませんし、生涯を通じての友人が小学校のクラスに必ず居るとは限らないと思っています。クラスメイトはお友達だと決めつけたいのは先生の方便でしかないのです。クラスで揉め事があった時、原因を探ろうともせずに「お友達とは仲良くしなさい」とだけ言って無理やり握手させて解決するためのものでしかありません。そのような事をするから揉め事の火種が水面下でくすぶり続け見えないいじめに発展してしまうのではないでしょうか? 僕が小学5・6年生の時クラスであるトラブルがあった時、1時間目から3時間目までずっと我々を叱り教え諭してくれた先生がいました。今そんな先生が、どれほどいるのでしょうか?「今の先生は忙しいし授業の進み具合のチェックも厳しくなっているから無理なんです」と言う声が聞こえてきそうです。もしそうなら先生方全員でスクラムを組み、もっと子ども達が生き生きできるクラス作りの提言を、教育委員会や文部省にすればよいではありませんか? 常に言い訳ばかりしている先生が子どもに良いお手本など示せるわけがありません。

2013年8月3日土曜日

児童書が売れないのは誰のせい?

車に関するコラムを読んでいたら「若い人にクルマが売れないのは、欲しいクルマと仕組みが造れないメーカーのせい」という文章が目に飛び込んで来ました。これってそのまま児童書業界にも当てはまるのではないでしょうか?特に気になるのは、小学4年生以上向けの読み物です。 毎日学校で起こる様々な事柄に小さな胸を痛め続けている今の子ども達に、聞きわけの良い子どもたちばかりが登場する読み物を紹介しても、彼らの心には響きません。 僕は、本好きの子どもたちは大人が思うよりは減っていないのではと思っています。しかし彼らは児童書の棚に見切りを付け、密かにライトノベルの棚に行っているのでは?と予想しています。 もちろん今を生きる子ども達とそれをとりまく環境をきちんと把握した、今の子ども達の気持に寄り添う作品もたくさんあるはずです。しかしそんな作品を上手に子ども達に紹介する仕組みがあまりにも出来ていないように思います。 秋山朋恵さんにこの仮説をぶつけたところ課題本を5冊与えられ、僕は今それを読んでいます。 大人が読んでも面白い児童書をピックアップし、出版社や書店の垣根を越え児童書業界全体でPRするぐらいの動きが、今必要なのではないでしょうか?

2013年7月7日日曜日

学歴社会はとっくに崩壊している

最近、学校内のいじめの問題や登校拒否の問題をよく耳にしますが、どの話を聞いていてももどかしさしか残りません。今ある学校をあまりにも肯定した前提でしか話をしていないからです。 「高校卒業は当たり前、出来れば大学にも行くべき」という風潮になったのはたかだか40年程前のことです。高度経済成長の時代ならいざしらず、20年前にバブルが弾け、立派だと思っていた企業がどんどん潰れているのを目の当たりにしている現在、社長が舵取りを一つ間違えただけで簡単に会社はつぶれてしまう時代です。実は学歴社会が名実ともに機能していたのは1970年から1990年までのたかだか20年だけなのです。終身雇用が期待できなくなった現在、学歴にしがみついていてもとっくに誰も何も助けてはくれなくなっているのです。 これから求められる人材は、他の人が思いつけない事を思いつく想像力と、実行に移せる行動力を持った人です。これらは今の学校の先生の言うことを聞いているだけでは身に付きません。全生徒を公務員的な人材にしようとする今の教育、「今学校の言う通りに勉強していれば社会に出てから楽が出来る」などと言うおためごかしはもう通用しません。その出口の見えない閉そく感がいじめや登校拒否に表れているのだと思います。思春期の大事な時期に人格形成に役立つ教育、本当に将来の人材を育成するための教育を一から考え直す時にきています。

2013年6月12日水曜日

どこまで実現できるのか?

クレヨンハウス時代に他社の商品を見ていて「営業をきちんとすればもっと売れるのにもったいない」と思う事があったので、東京ブックサポートという名で出版営業代行の仕事を始めることにしました。仕事で毎日書店の店頭を見ていると「僕はこの絵本好きなのに、なかなか注目されないなあ」と感じることがあったので、まるは・おはなし商店という名で絵本の読み聞かせを始めることにしました。絵本の読み聞かせなどをしていると「絵本作家になりたいと思っている人がたくさんいるのにきちんと吟味する場があまりに少ない」事に気が付いてしまったので、えほんみちと言う絵本作家の卵を応援する活動を始めることにしました。「力ある絵本作家の卵たちが集まったら絵本編集者を集めて一大プレゼン大会を開催したい」などと考えていたら「だったら別に日本の出版社に限る必要はないじゃないか!」と思うようになりました。 今、ボローニヤチルドレンブックフェアのアジア版、東京国際絵本フェアをどうしたら出来るのか、夢想しています。 はてさて、どこまで実現できるのか。今後ともよろしくお願いいたします。

2013年4月9日火曜日

『じゅうはんしゅったい!』

重版出来を「じゅうはんしゅったい」と読むことは出版営業になりたての頃教わったのに、すっかり忘れて「重版でき」などと言っている自分に『重版出来!』(松田奈緒子/作 小学館)というマンガで気付かされてしまいました。 『暴れん坊本屋さん』(久世番子/作 新書館)もそうですが、出版業界や書店を舞台にしたマンガは思わず買ってしまいます。出版社や書店人には紙の本に執着の強い「紙フェチ」と呼ばれる人たちがまだまだ多くいます。そんな熱い人たちがいる限り紙の本も書店もそう簡単に消えてはしまわないのではないかと心強く思ったりします。 最近、銀座方面で行列のできる飲食店として有名な「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」「俺の割烹」をOPENさせたのが、ブックオフ創業者の坂本孝氏と聞いて驚きました。自由な発想を持つ起業人はどのジャンルにあっても成功できるのかも知れません。 「本を持ち帰れないリアル書店」「入店料を取る書店」「本以外の商品の方が売れている書店」「本嫌いがターゲットの書店」。これは僕が無責任に考えた今後の書店のアイディアです。今後の書店について考えるなら、業界外の人とブレインストーミングが大事なような気がします。

2013年3月16日土曜日

ルール作り

欧米では様々なジャンルにおいてルール作り競争を重要視している、と言う話を聞いたことがあります。自分たちに有利なルールを作りそれを国際標準にする努力をかなりしていると言うことです。一方日本はと言うと、いつの間にか決められた国際標準と言われる新しいルールに慌てて適応しようとしている場面が少なくありません。スポーツ然り、TPP問題然り。これからの日本はもっと最初からルール作りのテーブルにつく努力をすべきだと思います。 電子書籍にはまだ国際標準はありません。日本の版元やメーカーが一丸となって”日本発国際標準プラットフォーム”を目指すという動きは無いのでしょうか?

2013年2月9日土曜日

指導力

柔道女子日本代表選手達が連名で指導者のパワハラを訴えた問題で、指導者たちの弁明の中に「信頼関係があると思った」という言葉があった。根本的な間違いに気づいていない。「自分たちに指導力が無かったから暴力を振るう方法しかなかった」点が問題なのだ。日本では、座禅で使われる警策のように修行には肉体的苦痛が伴うもの、という意識がある。それを都合よく解釈して来た指導者がいる。しかし今はパワハラの伴う指導は指導とは言えない。パワハラを行使する指導者は「自分の指導力が未熟だからパワハラをしてしまっている」事に早く気が付く必要がある。 スポーツであれ学校であれ職場であれ家庭であれ、パワハラで人を思い通りに動かそうしている人は100%間違っている、という常識を早く日本に定着させたいと思う。